まほうのだがしや テレビで紹介

なんだかよく似た名前でふたつある。片方がテレビに出ていた。

とにかくこういう場所、楽しく明るく、気楽で、

子連れで皆来てもいいとこ。こういうもの、もっともっと作れば。

今子育ての悩み、多い。

なんか、日本は一歩、遠慮の被膜があるね、まだ。

ここ、テレビでは、近所の気前のいいお兄さんが

勉強教えたりして、夜は居酒屋ですこし寄付金にもなるとか、

小説かドラマのような、場所。

もっとできればいいのだが。

滋賀県で面白いもの

 

 

引っ越してくるとき、期待しなかった。

印象が何もない。

しかし面白いものはある。

ミシガンという遊覧船面白い。大津京からにおの浜まで、700円のコースがある。

船でビールやドリンクを飲むのは、爽快だ。

 

湖西に暮らしていると、南北しか行けず、

東側にわたるのが難しい。ひとつある横断橋を、早く無料にすればいいのに。

無料化して、橋の両端に店を作る。橋に勤めていた人らはそこに移し、商売したほうが、よほど儲かる。

イタリアや東京湾ウミホタルのように、橋の真ん中に、店を作ってもいい!

さらに言えば、東西を、湖上に電車(トラム)を通してほしい。

 

 

また、ミシガン船を走らせるなら、本式帆船も復刻してほしい。

長崎には、帆船祭りがある。

今後エネルギー面で、帆船は使いたい。

技術者養成にも、学校を兼ね、復活させたい。

小説家の地図(1)チェザーレ・パヴェーゼ

イタリアの作家チェーザレパヴェーゼは、世界で最高の作家の一人。

彼にまつわる土地を、グーグルアースの地図で、リンクする。

 

まずは、生まれた町、サント・ステファーノ・ベルボ。ピエモンテ州だ。

Google マップ

4000人ほどの小さな町。土地を取り囲む風景が、小説に再現されている。

なだらかな丘。ブドウ畑。

 

次に大人になって生活し、出版もした町、トリノ

Google マップ

車の大きな会社がある町だ。王宮もあり、古い文化が息づく。

彼が社員でもあったエイナウディという出版社から、自分の本も出していた。

だが生前あまり出版を好まず、(政治的理由で流刑にされた時代がある。)草稿のまま持っていた作品も多かった。

 

イタリアのサイト、パヴェーゼファウンデーションから、学者のインタビューの記事。

https://fondazionecesarepavese-it.translate.goog/en/news/cesare-pavese-roberto-ludovico/?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

 


www.youtube.com

 

 

シンシア・フルーリーの考え(2)

彼女は2010年代にはいって、

考えを進化させている。

2015年の「勇気の終わり」では、

政治の舞台での勇気が失われつつあり、損得を省みない勇気ある発言や

行動がなくなってゆくと、政治や民主主義は停滞、腐敗してゆくことを描いて、

人々を鼓舞していた。

しかし2018年「かけがえのない人々」では、

無意識の「個性化」行為が、勇気に変わって社会を変え、新しい形を

生んでゆくさまを描こうとした。

SNS時代に人々が、集団の中で自分の個性を花開かせてゆく様を見て、

発想したものらしい。

たとえばインスタグラムで、自分のラップ作品を発表し続けて友をつくってゆく少女。

(ドゥルーズガタリの「ミル・プラトー」が40年前に夢想していた状態に、時代が追いついたかのようだ。)

さらに2019年「ケアが世界を変える」では、

高齢化ですすむ相互ケアの社会形態が、人の意識を変え、

新しい民主主義の形を生みはじめていることに着目。

 

いずれも、日本でも見ることのできるはずの事態だ。

 

シンシア・フルーリーの考え

哲学者シンシア・フルーリーは、私たちの相互依存関係が、最も創造的な方法で世界を変革することを可能にする力であると考えている。現代社会は「ケア」の社会である。ケア社会の概念について引用することで、この投稿を終えます。「彼女は付け加えます:

今日、私たちは共同責任の世界に入り、公益に従って行動を起こすという事実(…)も重要です。これはケア会社に典型的です。認識、ケア専門職の昇進、共感の文化、連帯の文化、競争の減少。

この概念は、最近私にとって重要なようです。

 

女性らしさが自然に考え方に現れている。

2019年の、「ケアは世界を変える」より。

ケア社会。

介護が必要になり、人口の半分が、誰かに依存しなければならない性質の社会。

そうした性質の変容が、おのずと社会を変容させると彼女は考えている。

何より、90年代以降、こうした議論をする人材がいなくなった。

実利社会、あるいはAI計量社会。

それでは現場では勘に従い立派に仕事が進められているかというと、

そうでもない。デジタル分野の進化はすさまじかった。

それは良いことも多かったが、哲学が空位のままであり、誰もふかくその進化の倫理的な側面や、哲学的なについて、配慮をしていない。